與楽寺縁起(歴史)

与楽寺は、霊亀2年(西暦716年)に藤原不比等(ふひと)の子、藤原宇合(うまかい)によって開創されました。藤原不比等は藤原鎌足の子です。宇合は鎌足の孫にあたります。当時は藤原四兄弟として、政権を担っていました。

 

叔父である定恵の菩提を弔うために、播磨の明石郡に太山寺という大きな寺院を建立しました。そしてその周りに6つの薬師堂を建て、6体の薬師如来をおさめ、太山寺とあわせて七佛薬師としておまつりしました。

 

その薬師堂の一つが与楽寺です。

 

ご本尊は、「医王山」の山号のとおり、秘仏の薬師瑠璃光如来です。

寺伝によると、行基菩薩の御作とされています。

 

中古天文(室町末期~戦国初期)の間、兵火にかかり本堂は焼失するも、その尊像は霊広日新でした。

 

元文4年(1739年)にその厨子を新しく建立。その後明治11年にご本尊の修復を済ませました。

 

現在の本堂は江戸中期、文化8年(1811年)に建てられたものです。本堂の棟札が現在も本堂の天井に掲げられています。

 

本堂の檀の裏には、この檀を文化13年(1816年)に造ったとの銘が残っています。

 

本堂には、お前立の立ち姿の薬師如来さま、日光菩薩、月光菩薩、十二神将、天台大師、伝教大師、観音菩薩、地蔵菩薩、西国観音霊場が配置されています。

 

当寺は播州薬師霊場第2番札所でもあり、霊場の御朱印もお授けしています。また、境内には、水子供養地蔵尊がまつられています。

 

その他、鎌倉時代の阿弥陀如来の掛け軸、南北朝時代の涅槃図、桃山時代の伝教大師の掛け軸、江戸時代の数々の古書籍など貴重な文化財も伝えられてきました。

本堂天井に残る棟札

右のものに文化8年に再建したと記されています。左は昭和61年の改修時のもの。

本堂壇裏の書き込み

大坂南本町(?)目

心斎橋筋

文化13 子の年 吉日

片上屋

香河久?(反対側の記述より久兵衛か) 造之

 

と書かれています。

大坂南本町四丁目心斎橋通

細工人 片上屋久兵衛 造之

 

と書かれています。