護国のお経

疫病はこれまでも日本中で猛威を振るってきました。

 

与楽寺を建てたとされる奈良時代の公卿、藤原宇合(ふじわらのうまかい)卿も疫病でなくなっています。

 

奈良時代、天平7年(735年)から2年間ほど大流行となった疫病(天然痘)によって、日本の人口の20%~30%がなくなったのではないかと推計されているようです。宇合卿も天平9年8月5日この病で命を落としました。当時政治の中枢にいた宇合卿も含む藤原四兄弟は全員この病で亡くなっています。

 

詳しくは勅撰史書である『続日本紀(しょくにほんぎ)』に書かれています。

 

「天平961日 朝廷での政務を取りやめた。諸官司の官人が疫病にかかっているからである。」

 

ここから多くの公卿が亡くなっています。

610日 大宅朝臣大国。

611日 小野朝臣老(おゆ)。

618日 長田王。

623日 多治比真人県守(あがたもり)。

75日 大野王。

713日 藤原朝臣麻呂(宇合の弟)。

717日 百済王郎虞。

725日 右大臣藤原武智麻呂(宇合の兄)

81日 橘宿禰左為

85日 藤原宇合。

820日 水主内親王。

 

ちなみに宇合のもう一人の兄藤原朝臣房前は417日に亡くなっています。

 

これだけ名のある、国の中枢にいる人が亡くなるということは、一般市民にはどれほどの被害が出ていたのか。簡単に想像できます。

その後、疫病、飢饉、反乱とまさに国家の危機となり、聖武天皇が大仏を建立する流れになったのです。

 

この疫病のさなか、国は恩赦を行い、あるいは仏教にも救いを求めました。

例を挙げると、

天平7年5月24日 大般若経転読

8月12日 金剛般若経読誦

天平9年

3月3日 国ごとに釈迦佛の像を造り、大般若経を書写。

5月1日 大般若経 読誦

8月2日 最勝王経読誦

8月15日 大般若経・最勝王経転読

10月26日 金光明最勝王経講義

 

 

参考文献 宇治谷猛『続日本紀(上)』 講談社学術文庫

 

般若経典が多いですね。ほかにも神社でも祈りをささげて、あるいは税を免除し、あるいは大赦をおこないうなど必死に疫病を沈めようとしていたのでしょう。

 

与楽寺においても現在、日々の勤行で『金光明最勝王経』、『仁王護国般若経』を読んでいます。この二つに『法華経』を併せて「天台三部経」あるいは「護国三部経」とされています。

 

 

蔵から「天台三部経」が出てきたので、この時緊急事態に読誦するようにしました。「天台三部経」と言いながら、法華経以外は読むこともほとんどないです。だから読むのも難しいのですが、宇合卿の無念に思いをはせ、コロナ第二波が来ないようにと祈りをささげます。